Biography

このコーナーでは、僕がアメリカへの留学に至るまでのことを中心に、 当時の状況を振り返りながら記します。
長文になるので、興味のある方はお付き合いください。

1971年生まれ。
出生地は東京ですが、3歳で横浜に引っ越したので
横浜出身としています。

姉をはじめ、近所の子供達の影響もあり、
5歳の時にピアノを習い始める。

その当時の流行なのかはわかりませんが、
実家の周りでは、女の子にはピアノかバイオリンを習わせる家庭が
とても多かったです。近所にはピアノの先生が3人もいました。
現在では想像もつかない話ですが・・・・・。

学校から帰宅すると、毎日繰り返し聞こえてくる、姉の弾くショパン、シューマン、メンデルスゾーン、
モーツァルト、ベートーベンなどがBGMでした。

もっとも僕自身は、毎週あるレッスンより、友達と公園で野球をしていた方が楽しかったようです。

姉が弾いていたような曲を、なかなか弾かせてもらえず、
発表会に向けては、20世紀作曲家の子供向け作品ばかり!?。
次第にピアノへの関心が薄れていくのも明らかでした。

中学1年の時、たまたま深夜に観たVan Halenの”Jump”とDavid Sylvianの”Red Guitar”のPVが、
僕を洋楽の世界へと、そして欧米諸国に対する憧れへと運んでくれたのでした。
当時はMTV全盛期。深夜には洋楽PVを流す番組が目白押し。
TotoやChicago、Journey、Van Halenなどが流れると、
まだ見たことのないアメリカ西海岸の透き通る青空が浮かび、
The PoliceやU2、Howard Jones、Duran Duranなどが流れると、
イギリスやアイルランドの曇り空に想いを馳せる日々でした。

典型的なステレオタイプですね・・・・・。

あとちょっぴり大人向けのヨーロッパ映画やアメリカのTVドラマもたくさん流れていました。
もちろん深夜族(?)になっていくのはいうまでもありません。

学校に行っても洋楽を聴いている生徒はわずかしかおらず、乏しい情報交換の中、
FMラジオやTVの番組を録音、録画し、気に入ったアーティストがあれば貸しレコード屋に探しにいき、
本屋で音楽雑誌を立ち読みして情報を得る日々がつづきました。
情報を得るには苦労しましたが、振り返るとそれなりに楽しかった思い出です。

時は流れ、高校2年の時、親しかった同級生が学園祭のバンドオーディションにて演奏するというので
観にいきました。
そこで演奏されたLed Zeppelinの”Rock’n’Roll”のかっこ良さに衝撃を受け、
ギターの持つ魅力に取り憑かれました。
放課後は毎日のように、その同級生宅に寄り、Gary MooreやRolling Stones、Kiss、Aerosmith、
Queen、Led Zeppelinなどのレコードを聴いていました。
目の前でレコードにあわせて弾いてみてもくれましたが、教えてはくれませんでした。

「弾きたければ自分で研究しろ!」
少々乱暴にもきこえますが、僕にとってはよき友であり、よき先生でもありました。

当時世間では、ちょっとしたハードロックブーム?がおきていました。
Bon Jovi、Whitesnake、Def Leppard、Guns’n’Rosesなどがヒット曲を出していて、
次々に新しいバンドが紹介されていきました。
彼らの演奏を耳コピーしつつ(速いフレーズはさすがに無理でしたが)、ギター雑誌を読み漁る毎日でした。
インタビューで彼らが口々にするのは、上手くなりたければ昔のロック、
ブルーズやジャズを聴けというものでした。
そこから前述したバンドをはじめJimi Hendrix、Eric Clapton、Jeff Beck、The Who、UFO、Free、
Bad Company、Ten Years After、B.B. King、Buddy Guy、Stevie Ray Vaughanなどを聴き漁りました。
しかしJazzだけはどうしても好きになれませんでした。
(初めて聴いたアルバムは、Wes Montgomeryの”Smokin’at the Half Note”)
Swingというグルーヴに馴染めなかったのと、演奏が展開していく中でのハーモニー(和声)が分からない
というのが原因だったと思います。

ちょうどその頃、ある友人からT-Squareとカシオペアの自作編集カセットを借りて、
その中の”Unexpected Lover”という曲が好きだから、ギターで弾いてみせてと頼まれました。
早速耳コピーを始めると、初めて聴くフレーズがある中に馴染みのフレーズもある。
曲の展開も追えるし、リズムも馴染める。
さらに彼は、David Sanborn、Larry Carlton、Lee Ritenour、Robben Fordなども貸してくれて
徐々にフュージョンミュージックのかっこ良さに目覚め始めました。
ブルーズやロック、ポップスやファンクなどの音楽をベースに、時折垣間見れるジャズフレーズらしきもの。
これなら今の自分にも充分ついていけると思いました。

そんな矢先にあるアルバムと出会います。

当時読みふけっていたギター雑誌の新譜紹介コーナーに、
ジャズに興味があるロックギター少年にこそ、是非聴いて欲しいアルバムですと。

それがMike Stern”Jigsaw”との出会いでした。

早速聴いてみたところ、なんとも不思議な気分になったことを覚えています。
曲は聴きやすい部分もあり、さっぱり分からない部分もある。
ギターソロになると、始めの方は分からないが、最後の方はロックギターにしか聴こえない!
自分の聴いていたフュージョンとは明らかに違う音楽だし、好きになれなかったジャズともなんか違う。
聴きやすさと難しさが同居している、なんなんだこの音楽はと思いました。

今思えば随分大げさな感じに思えてしまいますが、18歳の男の子にとっては
充分過ぎるインパクトでした。

これをきっかけにして、徐々に音楽のこと、とりわけジャズについてのことが知りたくなってきました。
と同時に、以前から抱いていた海外に行ってみたい(それまで日本を出たことは一度もありませんでした)。
自分の目で確かめたいと想いはじめました。

そして1992年春、ついにアメリカへ旅立つことに・・・・・。

Home